うめやについて

うめやの成り立ち

平成元年頃、東京の東端に位置する江戸川区にて初代「うめや」は誕生する。
当時の発起人が常日頃『うめや』と書かれた下駄を履いていたのがチーム名の由来である。

江戸川区1部に在籍するが、平成11年内紛勃発により解散。
行き場を失った現管理人はその3年後、江戸川区優勝の野望を胸にneoうめやを立ち上げる。

現管理人がガンダム好きのために「ネオジオン」的な発想で『neoうめや』と命名。

当初お気楽なバスケを目指していたが集まったメンバーが負けず嫌いばかりであったため、本格的なバスケットボールチームとなる。

平成14年、3部下位リーグからスタートし江戸川区24連勝を記録する。

平成25年をもって江戸川区は活動停止。
選手の補強、脱退を繰り返し東京都の選手権にも参戦。また、40歳以上の全国シニア大会もに参戦し平成27年度は通算3度目の優勝を果たした。

うめやコラムその1

チーム旗揚げ当時(2002年)はJBLでやっていたプレーヤーを寄せ集めて、しかしそれだけでは人数が集まらないので地元の有志にも入ってもらいチームが成り立っていた。

チーム構成は全員が30歳以上であり、なおかつ反省会と称する飲み会も必ず行われていた。江戸川区だけでいいと思っていたのだが、現在の東葛西のパパ(当時西葛西のパパ)が東京の大会にも出ましょうよと言うので参加し始めた経緯がある。

当時管理人は東京都のクラブ選手権などがどのような大会かもわかっておらず初年度に前の年の強豪チームに一回戦で勝ってしまった。負けてすぐに飲み会の予定だったが、勝ってしまったためにその日二回戦をすることに。そのため嫁さん連中(当時は嫁さんや彼女がよく試合に見に来ていた。)に怒られてしまうという在り得ない状況になった。

忘れもしない武蔵野の体育館でその日に行われる二回戦の前に喫茶店で生ビール5杯飲んでヘロヘロ状態になるということもあった。(とんでもないことだが今では時効ということで。)

管理人はそんなに勝負にこだわっていなかったのだが、その大会でベスト4まできてしまった。準決勝は正月明けにあり、みんな10キロ近く太った身体でなおかつ誰も練習もしていない。当然動けず、50点差で負けるという記録も残している。

管理人語録その一「飲んだ次の日は本能のバスケができる」

うめやコラムその2

うめやは基本的に練習はしていない。個人で動いておいてくださいと言うスタンスだ。
だから試合では動ける選手と動けない選手がハッキリ分かれる。でもそれもうめやの特徴だ。出場したときに全力でやればそれで良し。

管理人はうめや立ち上げ当初は個人練習も全然やっていなくて試合だけ参加し、その後の飲み会がメインであった。でもやはり歳をとっていくうちに動けなくなる。若者相手、特に学生さんとやると早さだけで負けてしまう。

でも勝ったときは喜びも大きい。試合の勝ち負けよりもオジサンはまだ頑張っているとアピールしたいのかもしれない。バスケのテクニックはあまり落ちるものではないがそれを使いこなす走力や持久力はあっと言う間に落ちる。特に40歳を境に顕著に表れる。

また怪我の治りも遅くなる。だから無理は禁物。徐々に徐々に・・・の精神でやらなければいけない。

管理人語録そのニ「精神と肉体を切り離せば痛みなど感じないとランボー師匠が言っていた。」